高校生時代の前半で、
部活の人間の中心人物にも嫌われてしまった私は
帰宅部になり、家で過ごす時間が大幅に増えました。
家の外に出ても、何も面白いことはないし、
そもそも出る用事もない。
そんな私は、学校の授業が終われば
家で漫画を読んだりゲームをしたりして
ダラダラと過ごす日々が続きます。
そんなある日、私の体に異変が表れます。
学校の授業中で椅子に座っていると、お尻の辺りが熱くなり
気持ち悪い感覚に襲われたのです。
「なんだ、ケツが変な感じだぞ・・・」
そう思っていたら、ものすごい悪臭が私の周りから発生し、
教室内にその臭いが漂います。
「なんか臭くない・・・」
「ザワザワ・・・」
そんな周囲の反応に焦り、緊張する私。
冷や汗で体はずぶ濡れになり、ますます状況は悪化していきました。
やっと授業が終わり、帰れる状況になった私は
「めっちゃ臭くない?あいつが犯人ってわかった??」
「わかった。だって様子から見てもバレバレじゃん」
という教室に残る人達の声をさえぎるようにして
学校を後にしました。
「あれは一体なんだったんだ?」
そう思い、返ってからお尻の状況を確認する私。
調べていくうちに、お尻の周りが汗か何かでベタベタで
ウンチが漏れているわけではないが、
とりあえずこの粘膜のようなものが出ているのが原因なのではないかと
素人ながらに考えました。
「粘膜がでているのが原因か。
いや、粘膜が出ているってことは、痔か何かか?
それとも脱肛か?でもこの年で脱肛ってあり得るのかな・・・」
とにかくこんな状況ではまともに学校も行けないので
私は学校を休み、肛門科の病院へ行くことにしました。
しかし、肛門科の先生に診察してもらった結果、私の身体は
「全く問題なし」
の一言で終わってしまいました。
肛門の締りも問題なし、
痔の跡も見つからない、
いたって正常な身体です。
そう言われた私は納得がいかず、
他の病院へも診察に行きます。
しかし、どこの病院へ行って診てもらっても
結果は同じでした。
それどころか、医者に自分の現状を訴えれば訴えるほど
「思い込みが激しいだけ」
「本当は臭いなんて出てないけど、
被害妄想がひどくてパニックになっている。」
と言われてしまう始末でした。
「面倒くさい人間は門前払いか。医者は信用できない。」
そう考え直した私は
自分でこの状況を変えるべく、
自力で情報を探しては実践を繰り返すようになります。
「過敏性腸症候群」という題名の本を見つけて勉強しても
一向に改善は見受けられない。
ネットで胃腸に優しい食生活を見つけて
実践するも、状況は不安定。
肛門周りの筋トレ方法を継続しても
全く効果なし。
(まあ、肛門括約筋に問題がないって診断があったから
当然の結果なんですけどね。
当時は藁にもすがる思いで、思いつくすべての方法を
試したかったのです。)
昔から何をやってもうまくいかないことがトラウマだった私は
自分の身体の不調を自分で治すこともできず
途方に暮れてしまいます。
たかが臭いだと思うかもかもしれませんが、
されど臭いでした。
人間は生理的に受け付けない人間とは
関わろうとすることができないと
科学的にも証明されています。
私はそれを、身をもって体感することができました。
当時は辛くて死にそうな思いでしたが、
自分の身体をある程度はコントロールでき、
会話術をモノにして、人と関わることに苦労しなくなった
現在の私にとっては、
当時の経験は誰にでも体験することはできない、
わたしにとっては貴重でなくてはならない経験だったと
思えるようになっています。
話は高校生時代に戻りますが、
身体の不調で不登校気味になってからの状況は
やはり悲惨なものでした。
学校の先生からは
いくら体の不調を訴えてもわかってもらえず
「学校へ来なさい」の一点張り。
学校の先生からしたら、問題児がいることで
自分の評価も変わるでしょうから、当たり前の反応だと
次第に私は考えるようになりました。
両親からは
いくら身体の不調を訴えてもわかってもらえず
「何も臭わないから学校へ行け。」の一点張り。
専門家の医者でさえも問題がないと言っているのに
学校へ行かないのは怠慢だと考えるのは当然ですし、
第一そんな意味不明な症状を子どもが訴えられても
親では対処できないのは仕方がないだろうと、
私は親の置かれた立ち位置を次第に考えるようになりました。
兄弟からは
「サボるな」「甘えるな」の連続。
「臭い」なんて悩み、誰にでもあるという兄弟の考えは
至極もっともだし、客観的に見ても、
第三者がどこからどうやって見ても
私が怠けているように見えるのは明らかだと
周りの人が私を見るときに思いそうな事を
次第に考えるようになりました。
こうして、友人も失い、
学校の教師や家族からの信頼も失い、
何もかも失ってしまった私は
自分の自尊心はおろか、
自分の存在意義は全くのゼロなんだということを
子供ながらに確信しました。
外へ出れば
自分から臭いニオイが出ていないかと心配になり、
人の気配を感じただけで心臓の鼓動がドクドクと早くなります。
駅や町中のような人が常にいるような場所では
怖くて前を向いて歩くことができず、
帰るまでずっとうつむいて足早に立ち去ります。
人が多い場所では
なぜか挙動不審になってしまい、
どう歩いて良いのかわからなくてパニックに陥ってしまいます。
終いには、人が怖いからなのか自分でもよくわかっていませんでしたが
勝手に涙目になってしまい、会話をする以前の問題です。
学校ではもちろんのこと、学校外でも、知らない人にも
「キモイ」「くさい」「変なヤツ」
と言われることが日常になってしまった私は、
何か自分という人間を否定するようなことを言われても
ショックに思うことは少なくなっていきました。
両親の団塊世代や教師たちが語る、
楽しい思い出と情熱が詰まった青春時代。
兄弟や同級生の
部活や仲間との活動に燃えている姿。
テレビドラマやアニメ・漫画の学生モノで
皆が共感しているシーンとして有名な場面でも、
私だけが、まるでそれが別世界の住人のように見えてしまう状況。
私は「学生時代の思い出で一番印象に残っていることは何ですか?」
と聞かれると、素直に印象に残ったことを言うことができません。
(今では周りの笑いを誘いながら、面白おかしく話すことがきますが)
私の学生時代の楽しかった思い出は、本当は何もありません。
認めたくないけれど、真実は残酷です。
これが私の学生時代の全てだったのです。
そして、そんな人間として欠陥品な私を管理しきれないと
判断した親は、私を山の中にある、とある宗教施設に預け入れます。
学校でも友達作れず、会社員時代も上司や部下と上手くいかなかった管理人が誰とでも仲良く話せるようになり、人生が思い通りに行くようになった秘訣とは?
以前、私は人とまともにしゃべることすらできないコミュ障でした。
その上、一時期は人と話すことはおろか、ヒトの気配を感じただけで怖くなり、涙目になって逃げだしてしまうようなレベルの対人恐怖症でもありました。
しかし、どうにか自分の人生を変えたいと思い、他人と向き合うことに挑戦を続けていました。
その結果、対人恐怖症は改善し、また良い会話教材に出会い、正しい会話のコツについて学んだことで、
「誰とでも仲良くなれる」「仕事もケタ違いに上手くいく」ということを自ら経験しました。
実際に体験して分かったのですが、コミュ力は、才能ではなく鍛えられます。
そして、「会話術を学ぶことで誰でも自分の人生を好転させることができる」という真実を、産まれて初めて思い知ることになったのです。
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